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ラーメン

2007–07–28 (Sat) 11:10
寝ているときに見た夢の記録。


物置小屋の高いところに予備のトイレットペーパーが置いてあって、便意をもよおしてきた藤本くんはそのトイレットペーパーを必要としていたのだけれど、高いところが苦手な藤本くんは自分一人ではとても取りに行けなくて、ボクのところに助けを求めに来た。そのときボクは家の外にいて、スーパーファミコンの入った埃まみれの箱とか黒ずんだピカチュウのぬいぐるみとか部屋の床に敷いたカーペットの余った切れ端だとかを車の荷台から別の車の荷台へ移す作業をしていて、単調な作業に飽きていたこともあって藤本くんの求めに応じてほいほいと物置小屋まで着いていくことにした。

物置小屋に来たところで藤本くんが「あそこ」と指差した先には、確かに、封の開けられていない12ロール入りのトイレットペーパーが置いてあった。床から3メートルぐらいの高さにある棚に乗せられていて、見たところこの物置小屋には他にもいくつか棚があるのだけれど、置いてあるものといえばそのトイレットペーパーだけだった。天井から吊るされている小さな傘のついた電球に照らされて、小屋の中全体が黄色くセピアに彩られ、棚から棚へ、また柱から梁へと足場を求めてトイレットペーパーを取りに行くと間違いなく途中で足場が崩れて落ちてケガをすると想像させるのに十分な古臭さを帯びていた。

そういえば梯子があったはずだよなと思い出したボクは藤本くんに「梯子どこにあんの?」と尋ねてみると、藤本くんは小屋の隅に寝かせてあった木製の梯子を持ってきて「これなんやけど、ほれ、3段目が折れとって使えやんのやわ」と、その八の字眉毛をさらに急角度に垂れさせて悲しい表情を見せた。「1ヶ所ぐらい折れとっても、そこ飛ばして登ってったらええやん」「あかんよ。4段目にもひびが入っとる」「ああ、2段飛ばしは無理やな」「そやろ」「そやな」そうやって二人で唸り合っていたら、またボクはアルミ製の脚立があったことを思い出した。「そうや、脚立なかった? 脚立伸ばしたら届くんとちゃう?」「あれもあかんよ。蝶番のとこがバカんなっとって危なすぎる」「そうかあ」

そうして二人で悩んでいる間にも、藤本くんを襲う便意はだんだんと大きくなってくる。ボクは棚とか柱とかの配置をしばらくの間眺めていて、どうにかトイレットペーパーの元まで通じるルートが見えてきたので「ちょっと待っとって。靴履き変えてくるわ」と言って物置小屋を出る。さすがにつっかけでは3メートルの高さまで登れない。一旦家に帰って靴を履き替えるときに、念のため家の中にいた妹に「梯子なかった?」と訊いてみるものの、「3段目が折れとるやつしかないに」という返事しか返ってこなくて、がっくり肩を落としながら再び物置小屋に戻ってきた。

小屋に入って驚いた。トイレットペーパーの置いてある棚の端に、藤本くんがぶるぶる顫えながら立っていたのだ。自力で柱から棚へと足場を見つけながら、3メートルの高さまで登っていったらしい。「大丈夫か?」と声をかけてみると、「うああおおう」と力ない返事が返ってきた。藤本くんはしがみついていた柱から手を離し、2歩蟹歩きしてとうとうトイレットペーパーを捕まえ、捕まえたその手でそっとトイレットペーパーを床に落とした。床に落ちたトイレットペーパーは大きくバウンドして、床にたまっていた埃が舞い上がった。

顫えが止まらない藤本くんは、突然「俺、ラーメン嫌いなんや」と言いだした。藤本くんの立っている棚の一段下の棚に、とんこつスープの入ったラーメン丼が4つ並んで出現した。「ラーメンに触ったら溶ける」と言って藤本くんは泣きだした。藤本くんにとってラーメンスープは濃硫酸と一緒で、そういう体質は遺伝によるものだと過去に聞いたことがあったのを思い出した。

ピンチの藤本くんを救うため、ボクも足場を探しながらどうにかラーメン丼の並ぶ棚まで辿り着き「ちょっと待っとって。今からラーメン食べるわな」と言って、向って右端にあるラーメンから食べることにした。ラーメンといっても、なみなみと注がれたとんこつスープの中に申し訳程度に麺が5本ぐらい入っているだけで、とても美味しいと言えるものではなかったし、スープの量が多かったので食べる速度もなかなか上がらなかった。こんなときにギャル曽根がいてくれたらなあと思いながらも頑張ってスープを飲んでいると、さっきまで顫えていたはずの藤本くんが平気な顔をしてラーメン丼の並ぶ棚まで一人で降りてきて、「ラーメン食べたい」と言い出した。そしてラーメン丼を手にとり、スープを飲もうとした。

「あかーん!」とボクは叫んだ。スープなんか飲んだら藤本くんは溶けてなくなってしまう。「やめときってー、死ぬやんかー」とボクは藤本くんを諭そうとするものの、藤本くんは首を左右に振って、八の字眉毛をもっともっと急角度に垂れさせて、「でも食べたいんやわ」とひとこと言ってからスープに口をつけた。

泣きそうになっていたボクは呆けたように口を開けて藤本くんの様子を見ていたけれど、藤本くんは溶けてなくなったりすることもなく、やがて1杯のラーメンを食べ終えた。

おわり。
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ななぁ、はち、きゅっ

2007–07–01 (Sun) 17:33
寝ているときに見た夢の記録。
ちと支離滅裂。


京都府向日市の住宅街の中にある、小高い山の上に用事があって行った。

買ったばかりの革靴を履いて坂道を歩いて登ったもんだから、ひどい靴擦れをおこして、帰る頃には足が痛くてもうこれ以上歩けんわバカタレという状況になってしまった。

歩けないのなら車に乗ればいいと思ったけれど、車がない。車がないのなら車のように地を這っていけばいい、そうだ匍匐前進だ、匍匐前進なら足をこれ以上痛めることなく帰れるぞ。僕はそう考えて早速匍匐前進を始めた。
向日市の住宅街にある山というのは、舗装道路のくせにすごい急勾配があることで有名だ。
(参考:http://kiri.road.jp/hyoshiki/tanken/14mukou/index.html
その急勾配の坂道を匍匐前進で下ることになった。

最初はのろのろと進んでいたもののだんだん勢いがついてきて、自らの意志で手足を動かさなくても、滑るように前進できるようになってきた。スピードもぐんぐん上がり、風を切って滑っていけるのが気持ちいいぐらいにまでなった。時々やってくる対向車を右に左に軽快なハンドルさばきで避け、散歩をしている犬に吠えられたりしながら、僕は駅に向かった。阪急の東向日駅に行くつもりだったのだけど、あまりのスピードで勢い余って通り過ぎ、西向日駅に着いてしまった。

西向日駅からは電車に乗ることなく、あっという間にうちに帰り着いた。

僕のうちはマンションの209号室にあるのだけれど、向日市に行っている間に引越しをすることになっていた。同じマンションの4部屋隣にある211号室が新しい住まいだ。211号室に入って部屋の中を眺めてみると、ほとんどの家具類は既に引越しが終わっていたものの、細々とした小物類はまだ新しい部屋には入っていなかった。

部屋の中には友人のA氏がいて、僕に引越し祝いをくれるということになった。「押し入れの襖を開けてみ」と彼が言うので開けてみると一抱えほどの大きさがあるダンボール箱が3つ入っていた。中を確かめるとどれも同じ電気ポットだった。
「3つも同じのは要らんよ」と僕が言うと、A氏は「Tにも同じのを3つプレゼントしたんよ」と言うので、僕は1つを残し、あとの2つをTに押し付けることにした。

211号室の間取りが、209号室と違っていることに僕は気付いた。209号室は南側だけに窓が付いていたのに、211号室は南側に加えて東側にも窓が付いていた。東側の大きな掃き出し窓の外には、209号室にはなかったベランダがあった。そのことを指摘するとA氏は「ベランダに出るときは注意したほうがいいよ」と言った。室内の床とベランダの床には段差があって、そこで足をつまづいて転んだりしないように、ということだった。よく見てみると確かに、室内の床の高さに比べてベランダの床は1メートル近く低い位置にあった。1メートルもの段差があるのに、階段や梯子などは一切付いていなかった。

僕はベランダに出てみることにした。1メートル近い段差があるのに、軽く一歩を踏み出しただけで簡単にベランダに出ることができた。

ベランダに出た僕は洗濯物を干すことにした。Tシャツやタオルなどを干していると、突然背後でバンという大きな音がした。何だろうと振り返ってみると、ベランダに備え付けられていた2つの照明のうちの片方が点灯していた。もう夕方で薄暗くなってきたので、A氏がスイッチが入れてくれたのだった。A氏がもう片方のスイッチも入れた。バンという大きな音とともに、2つめの照明も点灯した。スイッチを入れると爆発音がする照明らしかった。

僕は洗濯物を取り込むことにした。ところが物干し竿に手をかけたときに手が滑って、ガタンと音をたてて竿を床に落としてしまった。そのときに初めて知ったのだけれど、物干し竿というのは中が空洞になっていて筒状になっているのだった。床に落ちた竿を見て「へー」と感心していると、その空洞の中から2匹のゴキブリががさごそと這い出てきた。突然中華料理の料理人がどこからともなく現れ、2匹のゴキブリを素手で叩き潰した。

物干し竿の先端には、10センチほどの大きさのデジタル時計がくっついていた。時計はちょうど午前9時になろうとしていた。時計の数字がきっかり午前9時になったとき、その時計から音楽が流れ出した。ゆったりしたリズムの曲を聴いて僕は、アグネス・チャンだなと思った。

そばに置いてあったテレビのスイッチが自動的に入った。画面にやっしーが登場し、「みなさんこんにちは。囲碁の時間です」と番組が始まった。場面が変わり、今度は万波妹が現れて「にじゅうびょー、いち、にぃ、さん」と秒読みが始まった。
よん、ごぉ、ろく、ななぁ、はち、きゅっ、と言ったところで先程の料理人が、新たに這い出てきたゴキブリを同じように素手で叩き潰した。

いつの間にかその様子を眺めていた友人のT氏が「もうやめてくださいよー」と言うので、僕は彼の様子をビデオで撮ることにした。T氏は「もうやだなー」と言いながらも、カメラに向かって投げキッスをしたり変顔をしたりするので、僕は構わずにビデオを回し続けた。僕はビデオを回しながら「よーしパパ、この動画をYouTubeに投稿しちゃうぞー」と言ったところで、目覚め。


ちなみに、先々週T氏に会ったとき、変顔をするT氏の様子を本当にビデオに撮ったのだけれど、まだYouTubeに投稿はしてないです。

ホテル若兎馬

2007–06–27 (Wed) 19:42
寝ているときに見た夢の記録。
悪気は全くないのだけれど、若兎馬には申し訳ない。


平成※年△場所☆日目

○時天空-若兎馬●

立ち合いから激しい突っ張り合いの応酬になり、お互いに何度も顔面に張り手を見舞った。30秒ほど経過した頃には両者ともふらふらの状態になった。それでも闘志は衰えず、なおも突っ張り合った。足元が乱れながらもなかなか決着がつかなかった。

若兎馬の異常を一早く見抜いたのは、正面放送席で解説をしていた錣山親方だった。
「藤井さん、若兎馬の様子がおかしいですよ」
なおも突っ張りを続ける若兎馬の顔から次第に表情が消えていき、他の人の目にも異常がわかるぐらいになったとき、時天空の張り手が左こめかみのあたりを直撃した。若兎馬は膝からがくっと崩れ、青房下の俵の上に倒れ込んだ。

一瞬大きな歓声が上がったものの、なかなか起き上がらない若兎馬の様子に、館内はすぐ水を打ったような静寂に包まれた。

行司、時天空、呼出が変わるがわる声をかけてみるものの、若兎馬はすでに意識を失っていた。

副立呼出の秀男が駆け付け、若兎馬を診ることになった。三役格呼出の次郎とも協議をした結果、館内の医務室ではなく救急車を呼んで大きな病院に運ばなければ命にかかわるという結論になった。

遅れて北の湖理事長もやって来た。秀男の結論を聞いた理事長は顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。救急車の世話にはならない。館内の医務室に運べ。

秀男は救急車を呼ぶべきだという主張を譲らない。二人は激しく言い合った。

その一悶着を解決したのは、若手の呼出啓輔だった。若兎馬の様子を見て、このような場面の応急処置に詳しい人物が正面放送席に座っていることを思い出した。マイクを握り土俵中央に立ち、放送席を見上げて言った。
「藤井さん、こういう状況での対応に詳しいと聞きました。どう対処したら良いのでしょうか」
藤井はマイクのスイッチを、NHKの放送から館内のスピーカーに切り替えた。館内に藤井の声が流れた。
「その場で詳しく診ていないので断言はできませんが、やはり大きな病院に運ぶべきだと思います。脳震盪を起こしていることも考えられるので、なるべく振動を与えないようにしてください」

秀男が攻勢に出た。今すぐ救急車を呼びます。

藤井の助言を得た秀男の迫力に、理事長は負けを認めた。わかった、私が呼ぼう。君たちは彼を運ぶ準備をしてくれ。理事長は足早に東花道の奥に消えた。

運ぶ準備をするといっても、担架もない状況では何もすることがなかった。救急車に同乗するのが誰かを決めただけだった。同乗するのは朝日山親方になった。

やがて東花道奥にある大扉が開き、真っ白な車が入ってきた。しかしそれは救急車ではなかった。真っ白に磨き上げられた、スズキの軽トラックだった。

外部の病院に運ぶことに決めたものの、救急車の世話にはならない。理事長の意地だった。

あわせて担架も運び込まれ、ようやく土俵上の若兎馬を動かすことができるようになった。しかし担架に乗せるのに難航し、トラックまで運ぶだけでもまだ10分ぐらいはかかりそうだった。

花道の横には、今回のこういう事態のために作られた待合室があった。3人掛けの長椅子が2つと、テーブルが1つ置いてあるだけの小さな部屋だった。同乗する朝日山親方が伊勢ノ海親方とともにその部屋に入り、若兎馬がトラックに乗せられるまでの間に、今後のことを話し合うことになった。

今までずっとこの事件を傍観していた私も、どさくさにまぎれて待合室に入った。私は椅子に座るなりノートパソコンを広げた。この様子を2ちゃんねるで実況するつもりだった。その意図を悟った伊勢ノ海親方が私を鋭い眼光で睨んだ。私はノートパソコンを閉じた。

私は朝日山親方に、お茶を淹れてくれと頼まれた。私の目の前のテーブル上にポットが置いてあった。しかしいくら探してもお茶っ葉がなかった。私がおたおたとお茶っ葉を探していると、朝日山親方はにやりと笑い、懐から茶筒を取り出した。これでお茶を淹れられると安心したものの、まだ湯呑みと急須が見つからなかった。結局お茶を淹れることはできなかった。

ようやく若兎馬がトラックの荷台に乗せられ、朝日山親方が助手席、伊勢ノ海親方が運転席に座り、トラックは花道を出ていった。

土俵上では、中断していた相撲を再開するかどうかの協議が始まっていた。若兎馬が倒れてから30分近く、取組の進行は中断していた。NHKは既に30分の放送延長を決めていた。しかし協議の結果、今日の相撲はここで終わることに決まった。

NHKでは、30分の延長分を含めた余った時間、名古屋に新しくオープンしたホテルのテープカットセレモニーの様子を放送することになった。真っ白な外壁が美しい、25階建のホテルだった。

ちょうどテープカットが行われようとしていた。長さ5メートル、幅1メートルはあろうかという巨大なテープを、名古屋市長が小さな鋏でじょきじょきと切っていた。時々踊りを交じえながら、楽しそうにして切った。

市長が時間をかけてテープを切り終えたとき、赤絨毯の上を通って一台の軽トラックが入ってきた。荷台に若兎馬を乗せた軽トラックだった。

軽トラックはそのまま前庭を抜け、エントランスを通り、ホテルの中に入っていった。


おわり。

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